「死体を食べる人々」

先にも書いたように、今日はアメリカでも最大の休日Thanksgivingであり、普通の家庭の食卓ではメンディッシュとして七面鳥の丸焼きが並ぶ。2週間くらい前からテレビ番組Food Channelはこれでもかというくらいに七面鳥のレシピが盛りだくさんで、首と内蔵のなくなった七面鳥を画面で見る度にどうしても肉食のことを考えざるを得ない。このブログでレシピ以外のことを書くつもりはなかったんだが…今日と明日は、Thanksgivingあるいは肉食に関して調べたことと気付いたことをメモしておくことにする。今一度書いておけば、今日、さらには明日もディナーに招かれており、僕は確実に七面鳥を食べることになる。矛盾していると言われればそれまでだが、ディナーを拒否するよりは、親切心で誘ってくれたアメリカ人ファミリーとの食事を楽しませてもらうつもりだ。僕が「不完全」を公言するのは、他の人との食事をどうするか、という点でのいい加減さを抜くつもりが今のところないからである。
http://d.hatena.ne.jp/kawauso999/20051124
「札幌で菜食」さんのところで取り上げられた話題と関連して、一つ思い出したことがあったのでメモしておく。

菜食でない家族との食卓で、「死体」という単語をうっかり使ってしまった。ひどく怒っていた。(中略)
殺した動物の、その死んだ体を切り刻んだものを購入し、それに味をつけて楽しんでいる、という事実を、あの人達は意識したくないのだろう。(中略)
食べるのはいい。でも、自分を偽るのはどうかと思う。そうさ死体を食べてるよと、どうして思えないのか?

これを見て、数ケ月前に同じ職場のアメリカ人の女の子から来たメールを思い出した。この女の子の家でバーベキューパーティーをするという招待状だったのだが、「沢山の牛肉、それからハンバーガーやホットドックを作る材料はあらかじめこっちで用意するよ!」という文章に続いて、こうあった。

Or you can bring your own dead animal, dead pseudo-animal, or even a live one but you're cooking it.

「死んだ動物、死んだ動物のみたいなもの、あるいは料理してくれるんなら生きた動物でも、あなた独自の材料を持ってきてもいいよ!」て訳だ。僕はまだベジタリアン食のことを意識していなかった時期なのだけれど、それにしてもこの文章は僕に取って印象的だった。「死体を持ってきてもいいよ!」って、何て誘い方なんだろうと思ったのだ。メールを受け取った数日後に彼女に直接聞いてみたら、「え、肉はどう考えたって死体じゃん。死体って意識しようがしまいが肉は肉で、おいしいじゃん」という答えでこれもまた個人的にはちょっと新鮮だった。おそらく食肉を「動物の死体」として意識している人は日本人ではほとんどいないんじゃないか、と思ったからだ。
また同時に彼女は、この国でのベジタリアンの存在は当然知っている訳だが、ベジタリアンのことを批判することもない。うちの職場には、(僕のようなヘタレでない)ラクベジタリアンアメリカ人が2人いる。先日たまたま彼ら二人に僕、そして先のパーティーの彼女と4人がランチルームで鉢合わせ、それぞれランチを食べながらベジタリアン談義になったが、誰も別に話していて感情的になることは何もなく、また肉食の彼女が怒るようなこともない。アメリカが日本に比べて圧倒的にベジタリアンにとって住みやすいのは、結局のところ、ノンベジタリアンの人々がベジタリアンの足を引っ張るマネをしない、逆も然り、という点が最大だと感じている。
その意味で、よくベジタリアンの日本語サイトで見られる「アメリカ人の多くがベジタリアンに移行しています!」という煽動文句には僕は疑問を感じている。僕の周囲で見る限り、この国の食肉の消費量はやはりハンパじゃないし、ほとんどの人が普通に肉食だし、そしてThanksgivingでは全アメリカ家庭の9割で七面鳥が食べられる国ではあるのだ。